2019-02-11

政策への思い。

 

わたしは市議会への挑戦を決める前から、小さなお話会でたくさんの方とお話してきました。
子育て中であったり介護の只中であったり、人は皆、自分自身の置かれている状況の当事者であり、当事者にならないと見えてこない世界を体感しています。日常のくらし、日々の仕事の中で感じる「あれ?おかしいな」「もっとこうなったらいいのにな」、お話会でお聞きしたそんな言葉の数々。
今回のわたしの提案は、みなさんの言葉の中で、じっくりと育ち、かたちを整え、生まれてきたものにほかなりません。

この作業に完成形はありません。
政策とは、「人は誰もが幸せに暮らす権利がある」という揺るぎない大前提のもとに、人の営みが続くかぎり新たに構築され見直されていかなくてはなりません。硬直すればそこで政策の生命は絶たれます。
お話会の中で感じたのは、「孤立感」です。情報があふれているように見えて、実はすぐそこの思いを同じくしているはずの人たちの活動すらなかなかキャッチできていないのです。

インターネットという便利なツールを手にしたにもかかわらず、やはり人は小さな共同体単位で暮らすのに適した生き物なのかもしれません。
だからこそ市政のような小さな規模の政治に大きな可能性があると思うのです。
広い世界のニュースは否応なく入ってくる。辺野古の碧い海への土砂投入、アマゾンの熱帯雨林の破壊、暴力が吹き荒れるふるさとから逃げてきた難民たち。

そんなニュースに胸がつぶれる思いをしても、どうしたらいいのかわからない。
なにをしても変わらない?
自分たちには解決しようがない?
国政にまかせればいい?
いえいえ、どんな大きな問題も、日々のくらしの小さなことと一緒に、身近な同じ街に暮らす人たちと共有し、しっかりと対話を積み重ねれば、現実的に行動していけるはず。
いまはただ、そのしくみが弱いだけです。
問題解決の唯一の手段は、対話だと思っています。
多数決は、民主主義とイコールではありません。
時間をかけて根気よく対話すること。
ここからしか、くらしに根ざした民主主義は生まれません。
民主主義はどこにある?
それは、わたしたちのくらしの中にあります。
日々のくらしの中で自然にそうしているように、頭と口だけでなく、体や五感を丸ごと動かす場が大切なのです。味噌を仕込みながら、またはチクチク針仕事をしながら政治談義をする小さな会にも参加してきましたが、作業のあいだは参加者の皆さんもわたしもただ黙々と手を動かしたのでした。
その沈黙の共有。ここにこそ、大きなヒントがある、そう感じました。
選挙対策事務所でも、日々、ご飯を作り、仲間と食事をともにしてきました。
五感でお互いを感じ合える、こんな集いの場所がたくさん開かれていることも、政治を構想する上で大切なことです。

政治を、くらしの場に、引き戻すこと。

左京区には、一緒に耕したり、味噌を仕込んだり、子育てしたりする楽しいコミュニティがすでにたくさんあります。わたしはそこに草の根の民主主義がしっかりと根を下ろし始めていることを感じました。
政治の役割は、その根の張り具合を見守り、もっともっと伸ばしていくこと。
そして、そんな場と場をつないでいくこと。

街に追いつこう、政治。

ともに語り合える場、ともにつながれる場、ともに作業ができる場。
こういった場所のしなやかなネットワークが、わたしたちの街の政治の現場になる。
そんなしくみを全力で作っていきます。

2019年2月 井﨑敦子

 

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