2018-11-06

ちょびっと長い決意表明

トルーマン・カポーティの小説に「草の竪琴」というのがあります。ドリーという名の、社会的には価値がない(このところ取り沙汰されている言葉で言うと生産性がない)心優しい初老の女性が主人公です。やり手の姉から「お金を稼がないから役に立たない」と言われ小さくなって暮らしていたドリーはある日、お得意のハーブシロップのレシピを姉が製薬会社に売りつけて儲けようとすることに断固反対し小さな反乱を起こします。黒人の家政婦のキャサリンとともにムクロジュの大木の上に登って降りてこず、そこで暮らし始めるのです。姉や警官や裁判官がやってきて降りるように説得しますがドリーの小さな反乱はだんだんと共感を広め、木の上で暮らす人が増えていきます。ようやく和解がなされ小さな町に穏やかでささやかな日常が戻る中、ある日ドリーは突然この世を去り、残された人たちは姉も含めて、彼女の存在がいかに大切だったか、どれだけ大きかったかを思い知り寂しさを噛みしめる、という物語です。

「あなたが議会でやりたいことは何ですか」と聞かれたら、私の頭に浮かぶのはカポーティのこの物語なのです。

今、傍に手のひらサイズの「日本国憲法」があります。このところ何度も、この素晴らしい憲法を読み返しています。憲法前文には「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」という一節があります。

お金を稼げようが稼げまいが、役に立つように見えようが見えまいが。

いろんな職業の人、様々な状況の人たち、病気を抱えている人、子沢山の人、独身の人、仕事が生き甲斐の人も失業中の人も。

命に優劣はない。

どこでどんなに暮らしていても、生きている限り、誰もが私は幸せに生きていたい」という利がある。

そこをゆるぎない足場にして今、たくさんの仲間とともに左京区から京都市会議員を目指したいと準備を進めています。

必要以上に便利な暮らしが、海や森の破壊の上に成り立っているのならそんな暮らしは求めません。

遠くの誰かの暮らしを奪ってまで特別恵まれたりしたくはありません。

命を蝕み人の営みを根っこから破壊する原発はいりません。

世界中から戦争がなくなり平穏な暮らしの中で子供たちが未来に希望を持てるように。

いわれのない差別が人々の希望の芽を摘み取ることがないように。

これからも美しい自然の中で多種多様な生命と共に人の命をつないでいけるように。

誰もが大切な人と毎日を笑って暮らせるように。

必要な時には大人がちゃんと、怒らなくちゃと思っています。怒りを胸に対話をしていかねばいけないと思っています。

「自分には何の力もない」詳しく知らないから意見する権利なんてない、そうやって沈黙を守り自分の心の中に不安をしまいこんでいませんか。誰か頼りになる人がいろんな問題を解決してくれたらそれに越したことはないけれど、でも、多くの政治家や専門家があてにならないことを私たちはすでに知ってしまいました。怪物マンもいない。カリスマもいない。

いるのはただ、同じ町に暮らす人々だと思ったら、少し希望が見えませんか。

一人一人が5年後10年後こうありたい、というのを出来るだけ具体的にイメジしてみる。具体的であればあるほど、ずんずん暮らしに密着する。密着度合いが大事、と思うのです。暮らしにイデオロギーが入り込む余地はあんまりないから。「憲法改正して戦争できる国にしなくちゃ不安だ」って人と「憲法を守って戦争しない国でいることが大事」っていう人が、実は同じスーパーで買い物をしていたりする。銭湯で同じ湯船に浸かっていたりする。そんな風に、暮らしを基盤にして、大きな問題、政治の場で議論しないと解決しないような問題についても、町の中で、政治家以外の人たちが対話できる場を作っていきたい。

他者を尊重し争いを好まず日々真面目に働いている市民が、自分たちの町を基盤に考え、対話し新しい社会を作っていくれを後押しする政治へシフトしていきましょう。世界中から憧れとともにたくさんの人が訪れる京都だからできることがあるはず。

「夢みているだけか」「経済政策はどうするんだ」とおっしゃるかもしれません。でもすでに「経済政策」に長けていると立候補を表明している候補者はたくさんいらっしゃる。そんな中に一人くらい、私のような者を混ぜてください、ということです。多様性が大事です。

「小さな草の根が世界に広がりあちこちから芽を出し、やがて大きな力になることを願って

そんな言葉を掲げて仲間とともに、いざ立たん

私たちの名前は「井﨑敦子と草の根プロジェクト」です。

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